
黒いサングラスをかけ、髪型はモヒカン。スーツを着た2人組が、世界中の人々を爆笑の渦に巻き込む。それも、言葉を一言も発しないパントマイムで……。国境を越えて活躍する「が~まるちょば」は、ケッチ! さんとHIRO-PONさんによるパントマイムユニットだ。個性の異なる2人がユニットを結成するまで、どのような経緯があったのだろう。
ケッチ!「小さいころは、お調子者でしたね。小学校のお楽しみ会で演じたのが、初めてのパントマイムです。その後、高校の文化祭で演じ、好評だったので味をしめました。大学に入ってから、東京マイム研究所で1年半ほど習いましたが、うち1年間はイギリスに留学し、お手玉やピエロなどの勉強もしました。ですが帰国してみると、師匠が亡くなっていた。それで、研究所を出て、ひとりで大道芸を始めたんです」
HIRO-PON「僕は若いころは、パントマイムをやるなんて思っていませんでした。始めたのは遅くて、25歳くらいのときです。きっかけは、ひとりでできるということと、物を使わないということ。あと、しゃべらないということ。チャップリンが好きだったんです。僕の師匠は、舞台で演じる人だったので、(路上ではなく)最初から舞台でやっていました。人に見せたうえで、自分の演技がどうだったのかを考え、次の演技に活かすというのがパントマイムの学び方なんですね。考えてみれば、今でもそれを繰り返しているような気がします」
そんな2人が出会ったのは、1995年に長野県で行われたパントマイムのフェスティバル。先輩たちが主催していたイベントで、舞台裏などで手伝いをするのが、当時は若手であった2人の役割であった。
ケッチ!「そのイベントは毎年行われているのですが、1997年になると、今度は手伝いではなくて、僕ら2人それぞれが演技をするようになりました。また、若手が何人か集まって、一緒に演技をするという企画があって、それで一緒に演じたのが初めての共演だったと思います。そのころからHIRO-PONには、ユニットを組まないかと1年くらい声をかけ続けましたよ」
HIRO-PON「つまり、先輩がイベントで演じるチャンスをくれて、そこで自分たちの作品を持ち寄って演じていたんです。そのうち、長野だけでなく、東京でもやろうということになった。それに賛同したのが若手の5人。東京に進出した当初は、5人それぞれが作品を発表し、のちに共同で作品をつくるようになりました。2回ほど公演をしてみたのですが、やっぱり5人の意見をそろえるのは困難なんですよ。ならば、価値観が似ている2人でやるのがいいと思い、ケッチ! と本格的に活動をスタートしました」
次ページではユニット名の秘密から、おふたりのパントマイムの魅力に迫ります
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